寿司の結論

人生

なんとなく有給を取ってみた。朝はいつもどおり出勤するふりをして電車に乗ってみたものの目的地がない。天気も悪いので遠出する気分にもならなかった。

ちょっとうまい寿司が食いたいなと思い、朝からやっているであろう豊洲市場に繰り出した。Googleマップを参考に数多ある築地の寿司屋から間違いなさそうな店を選んだ。

名店の見つけ方にはコツがある。食べログ信者もいるがあれはダメ。金を払えば高評価を買えてしまうし悪い評価も反映されないので何の参考にもならない。そもそも会員登録しないと評価をかけないというハードル自体が口コミサイトとしての信用を下げている。プロはGoogleマップを使うのである。それもただ高評価の店を選ぶのではない。低評価の少なさを見るのである。人はよい思いをしてもわざわざネットに書き込む人は少ない。嫌なことがあった場合に書き込むのである。私はなんなく良い店に当たりをつけた。口コミ数がとてもおおく、高評価数から低評価数までのバランスがよく、日本人の悪い口コミも見当たらない。完ぺきだ。

 

 

そのつもりだった。

 

 

特段予定もないのでツマミも頼もうかと思ったのだが、あん肝が1,200円。。。嫌な予感がした。

あぁそうか。東京はそういう街だった。

そっとお品書きを閉じて、最もリーズナブルなセットを頼んだ。生臭くはないし、かといって旨いという感想も出てこない。数日後には今日の記憶とともに食べたことを忘れてしまいそうなくらい感想の出てこない寿司だった。

シャリが生暖かくて気持ち悪かったなあ

いくらなんて食感もないし調味料の味しかしなくて悲しい気持ちになった。食べ終わるやいなや、目の前のおやじが「おなかいっぱいになりましたか?」だとさ。金使わないなら早く出てけと言わんばかりの表現。これが東京のやり方なんだなと。マズイ飯と不快な店員に金も時間も使いたくないのでさっさと帰ることにした。

こんなことなら普通に出勤して食堂の冷そば食ってたほうが幸せだったかもな。

 

 

そう言えば、単価1.5万程度の寿司に行ったことを思い出した。これも旨かったんだけどあんまり満足感がなかったんだよな。1.5万という価格が期待値を高くしてしまっていたのか。なにか感動するような体験を想像していたのかもしれないが小綺麗な寿司というだけだった。。これが3,000円だったら感動するのか?と聞かれても寿司そのものについては特段何も思わないような気もする。

 

自分のなかで寿司の基準と言えば祖父母の実家で食べる出前の寿司だ。これが標準だと思って過ごしてきたが、どうやら違うらしい。都会では金額に見合わない寿司を出しても一見客は無限にいるし儲かるらしい。なんだかなあ〜

なんと豊洲の半額

ただ、私も寿司で感動しないわけではない。富山と能登で食べた寿司は感動したなあ。(「能登半島の現在」というタイトルで書いた気がする)

東京で暮らすというのは厳しい。家賃が高すぎて普通の会社員は1時間以上かけて会社に通うしかない。それでも家賃は高く飯は美味しくない。地方に転職を踏み出すことが難しいのはなぜだろうか。東京は額面の年収が高いだけなことは分かっているがそれでも年収が下がるというのはプライドが許さないのだろうか。寿司はうまいが地方の街は衰退しているというのもあるだろう。

どこに幸せがあるのだろうか。流され続けて人生が終わりそうな気もする。

マズイ寿司を食ったイライラを書き綴ろうと思ったらこんなとこに着地してしまった。また明日から日常だ。

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