同棲を始めてテレビを買った。古いメディアは見ない、インターネットで十分というのは無意識下の強がりだったのだろうか。よくテレビを見るようになった。「プロフェッショナル 仕事の流儀」が好きだ、今日録画で見た罠師-片桐さんは同郷だった。自分の人生を生きる人の物語は美しい。見終わった後、一人胸が苦しい。
思えば幼いころから将来の夢はなかった。プロ野球は好きだったが、夢と言えるほどの才能も努力もしたことはなかった。勉強はそこそこできたので、良い高校に行けばよい大学に行けば選択肢が広がり、やりたいことが見つかるだろう、少なくとも困窮する人生は避けられるだろうと考えた。中学の卒業文集で書いた将来の自分への一言は、「やりたいことを見つけ、実現する。」だった。無事大学進学して卒業の年になってもやりたいことは見つからなかった。流されるのも人生かと考え、周りと同じく給料が良い適当な企業に就職したが、時々苦しくなる。多くの「サラリーマン」は自分は何者でもなく、組織の中で生きていくことを受け入れているようだ。時に自虐しつつも金に困るほどではないしおおむね人生に満足しているようだ。どうやら自分は違う。幼いころの自分に罵声を浴びせられている気分だ。10年以上の時間がたったのに自己実現はおろか理想像すら見つけられていないことに、毎朝・毎夜苦しめられる。
なりたい職業はないが、好きなことがないわけではない。旅が好きだ。中学のころ、一人で深夜家を抜け出し、自転車で隣県へ旅に出たことをまだ覚えている。未知の世界に触れるのが好きなのかもしれない、旅人になりたい。仕事がいやでいやでたまらなかったころ、廃墟をドローンで空撮する映像を見た。切ないピアノの音色と建造物が自然に飲み込まれている様にくぎ付けになった。すぐにドローンを買った。YouTubeに動画を上げているが再生数はあまり伸びない。大金をはたいてドローンパイロットの資格も取ったが仕事にはなっていない。全国を回り、好きなドローンを飛ばすのは理想の人生に近いかもしれない。一方、所謂良い企業に就職していることで、転職にあたり待遇面が足かせとなる。同棲しているパートナーもいる。付き合って長い、そろそろ結婚するべきなのだろう。だが、自分は踏み込めない。結婚したら、いよいよ本当に理想の人生へ踏み出すチャンスがなくなるのではないか。思うに私はプライドが高いのだろう。自分自身が何者にもなれない有象無象であることに耐えられないのだろう。父親が言っていたことを時折思い出す。「サラリーマンなんかになるな。やりたいことをやれ。」自分は父親と同じ人生を送り、後悔して死んでいくのだろうか。それだけは避けたい。貧しくても、理想に向かってもがいてみるべきなのだろう。
自分の理想の人生は分からない。ただ、興味のない仕事を続けることは難しい気がしている。旅そのものを仕事にすることはできないかもしれないが、出張の多い仕事であれば、疑似的に旅を仕事に取り込むことで自分を少しでも納得させられるようになるのだろうか。
とりとめもないが、時々吐き出さないとおかしくなりそうだ。
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